あなごめし-1 うえの

 

あなごめしの有名なお店

 

外観

 

 

 

 

 

 

 

あなごめし

うえの

 

 

 

隣には上野商店があります
混雑してるときは、うえのアナゴ飯のお店の隣の「上野商店」の中で、順番を待ちます。この酒やさんの、二階に居酒屋があるそうです。
「他人吉」という、居酒屋さん。昔の建物のまま、ゆったりとした面持ちのお店だそうですが・・・

 

 


可愛い木のロボット
手前に、木のロボットがいます。
この、ロボットが、2階のご案内係りとなってます
木製のロボットなのです・・・  面白いな・・
表通りには、玄関がないので、このロボットが目印以前のお住まいを、そのまま使ってるそうです
今回は、入れませんが・・
まずは、うえのの入り口にある用紙に名前を記入・・・・
それから、店の外とか、上野商店の店内で        待機してますよ・・
店の前には、ショーケースあります

★ あなごめし★
あなごめし」は、上野家十代目他人吉(たにきち)が、宮嶋駅(明治30年開通)の駅売弁当として、 販売したのがはじまり。
他人吉翁は明治の中頃、宮島でお米の商いをしてました。
その後、機会があって、 宮島口の駅前参道に茶店を開業、その茶店を起点に駅弁あなごめしは誕生いたしました。 あなごがたくさん獲れるこの宮島近海では、昔から地元の料理としてあなごどんぶりがございました。茶店にも一品として旅人を楽しませていたことでしょう。江戸時代の芸藩通史にも当地の穴子の美味しさを書き伝えております。
他人吉翁は、この宮島でもてなされていたであろう「あなごどんぶり」の白飯を工夫し、あなごのあらで炊き込んだ醤油味飯を考え出しました。脂ののったあなごのあらで炊き込んだ飯はこくがあり、大変評判となりました。当時開通したばかりの宮嶋駅で駅弁を販売することを考えていた翁は、さっそくこのめしにあなごをびっしりとしきつめた「あなごめし」を名物として販売することにしたのです。以来、山陽本線では評判となりましたが、現在のように四国や岡山、隣の徳山などの駅弁として販売をはじめたのはここ二十年のこと。駅弁「あなごめし」の名前は広く使われるようになってゆきました。今は宮島の名物として復活し、個々に特徴とこだわりを持った美味しい穴子丼が出来上がりました。戦後、私の母と母を助け守り続けた多くのスタッフのひたむきな努力によって今日に至っております。
「あなごどんぶり、あなご弁当」は数ありますが、「あなごめし」は両親の守った上野他人吉の味が一番と信じて頑張っております。
また近年の不漁、それにより漁師さんの世代交代が出来ず、当地における日々の集荷が限られることになってしまいました。百年を経て、新たな暖簾をかけるつもりで取り組む覚悟です。永年穴子飯を愛しておられることを強く心に刻みこれまでの味を知るお客様と共にその味を受け継いでおきたいと思っています。何卒お導き下さいますよう宜しくお願い致します。(十三代目 上野純一氏の言葉)
他人吉開業で迎える1999年の冬、そして2000年の春・・・あなごめし弁当うえのはおかげさまで100年を迎えました。
他人吉(たにきち)は宮嶋駅(明治30年開通)の駅売り弁当として、あなごめし弁当を販売した初代の名前です。他人吉翁が明治の中頃宮島でお米を販売したのが商いの始めと聞いています。
その後、機会があって宮島口の駅前参道に茶店を開業して後、駅弁当「あなごめし」が誕生しました。以来厳島とその近海の豊かな海に恵まれ美味しいあなごがたくさん漁れたことで今日まで変わらぬ味をお届けすることができました。
こうして100年を迎えられるのも永年あなごめし弁当に格別のご贔屓を下さいましたお客様のおかげです。
一時期、地物にこだわりすぎるあまり、質の悪い地あなごまで仕入れざるおえない状況になったこともございます。
その経験をふまえ、そのようなことにならないように日々の仕入においては地物の良いものと地物に優るとも劣らない味のあなごを広く求め、吟味して用いることで、ご期待に副えるあなごめし弁当をご提供できますよう努めております。どうぞ変わらぬご愛顧と御指導も合わせてくださいますよう宜しくお願い申し上げます。(あなごめし うえの HPより転記)