鎌倉彫の手鏡 朱の牡丹彫り

鎌倉彫の手鏡
めちゃめちゃ・・昔に買ってもらった

鎌倉彫

 

16歳頃に、父に買ってもらった。
鎌倉に行ったときに、姉と私に1つづつ買ってもらった。

店先に沢山の手鏡があり、
一番鏡の大きなものから選んだ

決め手は、この大きな大胆な花が気に入った
店主の方が「牡丹」です。
と言ったことを覚えている。

 

鎌倉彫の鏡

ボタン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今でも、大好きな手鏡なのだ・・・
そのせいか、手鏡が大好きで北海道の木彫りも特注してしまった・・・

また、その木彫りも何ともいえない木の風情がある

(後日紹介します)

この彫りの深さが素晴らしい
さすが、昭和の仕事だなぁ

朱の色も大好き

先日、鎌倉に行ったら
店先にはあまり鎌倉彫が並んでなかった
ましてや、この朱の鏡は見つけることが出来なかった
どこに、行ってしまったのだろうか?

鎌倉彫の詳細をネットで調べてみたが・・・
大好きな フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にも、少ししか記載が無いので、
もっと、探したら鎌倉市役所のHPに到達
その文面を載せることにします。

「陰影ある彫りの味わい、深みある漆の色調、そして、日本古来の素材である木の温もり。これらが見事に調和した伝統的工芸品、「鎌倉彫」。宋の影響を受け、仏具として作られはじめて以来、800年の時を超えて受け継がれ、気品と風格はそのままに暮らしに溶け込み広く愛されるようになりました。伝統を守りながら、つねに現代に息づく物づくりを目指す鎌倉彫は、誇るべき工芸品としていまも進化を続けています。」

「13世紀半ばより、禅宗の移入に伴い宋から伝えられた美術工芸品の中に、堆朱(ついしゅ)と呼ばれる盆、大香合(だいこうごう)などの彫漆品(ちょうしつひん)がありました。それらは漆を幾重にも塗り重ねた面に精巧な文様を彫刻した、大変高価で貴重なものでした。これに影響を受けた仏師たちがその意匠をもとに、新たな木彫彩漆(もくちょうさいしつ)の仏具を作りはじめたのが鎌倉彫の始まりです」

「室町時代にかけて、京都の南禅寺、知恩寺、金蓮寺他、多くの寺院に伝えられる大香合や鎌倉国宝館の獅子牡丹文硯台(ししぼたんもんけんだい)など、また東北でも中尊寺、示現寺の椿文様の笈(おい)などの優品が生まれました。この時代の公家の日記「実隆公記」に「鎌倉物(かまくらもの)」という言葉が初めて現れ、以来、これら鎌倉ゆかりの木彫彩漆が一般的に鎌倉彫と呼ばれるようになったといいます。」

「江戸時代、茶道の普及とともに、茶入、香合、香盆(こうぼん)が多く求められるようになりました。この頃は精緻な蒔絵が非常に発達を遂げましたが、一方、雅味(がみ)のある鎌倉彫も人々に好まれ、元禄に出版された「萬寶全書(まんぽうぜんしょ)」という茶道具の手引書にも「鎌倉雕(かまくらぼり)」の名が見られます。そんな時代の中で、侘、寂、粋など、江戸文化の香りを持つ鎌倉彫の作品も生み出されました」

「明治になると神仏分離令が公布され、続く廃仏毀釈運動によって仏師たちは仕事を失いました。これを転機に仏像制作から生活の中で使われる工芸品としての「鎌倉彫」に活路を見い出した仏師の中に、後藤齋宮(ごとういつき)、三橋鎌山(みつはしけんざん)の名がありました。明治22年、横須賀線の開通とともに鎌倉は別荘地として栄え、訪れる人々への日用品やお土産として作られるようになり、現在の鎌倉彫へと発展して行きます」

所属課室:市民経済部産業振興課HPより抜粋http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/sangyou/kamakurabori.html