映画はやぶさの魅力で4本

戦闘機と宇宙機の両方分野で著名な糸川英夫氏のことばに
実験の結果失敗したことを絶対に失敗とは言わず「成果」といったそうだ。
なんて前向きなことばなのだろうか?

2011年5月に公開された「はやぶさ BACK TO THE EARTH」(角川映画、上坂浩光監督)は、プラネタリウム用CGアニメを劇場公開向けに作り直したドキュメンタリー。篠田三郎さんのナレーションで、宇宙を旅するはやぶさのロマンと計画が語られた。

そして、今回の
20世紀フォックス映画「はやぶさ HAYABUSA」(堤幸彦監督)は、架空人物の女性広報員、水沢恵(竹内結子さん)の視点で物語が語られる。

2012年2月11日公開の東映「はやぶさ 遥かなる帰還」(瀧本智行監督)は、渡辺謙さん演じるプロジェクトマネジャー、山口駿一郎を軸に、科学者と技術者の思いをつなぐドラマだそうだ。

2012年3月10日公開の松竹「おかえり、はやぶさ」(本木克英監督)は、藤原竜也さん演じるエンジニア助手と父との関係に軸が置かれた3D作品だそうだ。

はやぶさで4本の映画が製作されるなんて、凄い・・・
やはりこの原点は、 篠田三郎さんの声なのだと思う・・・
その、 「はやぶさ BACK TO THE EARTH」を観てないことが残念だなぁ・・・

「HAYABUSA-BACK TO THE EARTH-」という映画
篠田三郎さんのはやぶさナレーション
宙よ by Chie Umezawa
どこで、観れるか調べてみないとね。

★はやぶさ (探査機)-2
●名前の由来
ISASでは探査機の名前は、関係者同士の協議によって命名されてきた。MUSES-Cの場合、「はやぶさ」の他にも「ATOM」(Asteroid Take-Out Misson、アトム)という有力候補が存在した[8]。 この名は的川泰宣を中心に組織票が投じられていた案であった。一方「はやぶさ」は上杉邦憲と川口淳一郎によって提案され、小惑星のサンプル採取が1秒ほどの着地と離陸の間に行われる様子をハヤブサに見立てた案であった。他にも「はやぶさ」の名には、かつて東京から西鹿児島を走った『特急はやぶさ』や、鹿児島県の地名でもある『隼人』の面もあった。協議の際に的川は「最近の科学衛星は『はるか』とかおとなしい感じの名前や、3文字の名前が多いので、濁点も入った勇壮な『はやぶさ』もいいね」と語り、また「ATOM」は語意の原子から原子爆弾が連想されるとして却下され、結局「はやぶさ」が採用された。 小惑星の名前が「イトカワ」であることから「戦闘機と宇宙機の両方分野で著名な糸川英夫氏に縁の深い、戦闘機『隼』に因んで命名された」と言われることもあったが、本探査機の打上げ日に初めて「はやぶさ」という正式名称が発表され、それから3か月後にその目標である小惑星1998 SF36が「イトカワ」と命名されたので、誤解であると川口は説明している。

●ミッション背景
●計画承認までの経緯
はやぶさのコンセプトアート(NASA)。サンプラーホーンの形が完成形と大きく異なる。また左下にはキャンセルされたNASAのローバーが描かれている。
後に「はやぶさ」に至る小惑星サンプルリターン計画の検討は、日本で初めて惑星間空間に到達することになった「さきがけ」の打ち上げが成功裏に行われ、「すいせい」の打ち上げを控えた1985年6月、ISAS教授(当時)鶴田浩一郎が主催する「小惑星サンプルリターン小研究会」として始まった。その成果として翌1986年には1990年代を想定し、化学推進を用いてアモール群に分類される小惑星である「アンテロス」を対象とするサンプルリターン構想がまとまる[11]。しかし、要求を満たす能力を持つロケットが存在しないなど、時期尚早であるとしてプロジェクトの提案はなされなかった。
M-Vロケット開発を受けて検討は再開され、1989年秋から1990年春にかけて行われた宇宙理学委員会において、M-V 2号機のプロジェクトとして提案された。だが、LUNAR-A計画に敗れ採用されなかった。その後はランデブーとホバリングによる超接近観測を目的とした工学衛星計画に方向性を改めて再検討が進められることになった。1991年1月時点において、MUSES-C計画は光学観測による自律航行、三軸姿勢制御、ターゲットマーカーを用いた自律運用、X線分析装置と質量分析器の搭載などが検討されており、1997年5月に二段式キックモーターを装備したM-Vで打ち上げられ、1998年6月にアンテロスに到達するという計画であった[14]。その後も検討は進められ、1995年に小惑星サンプルリターン技術実験探査機として宇宙工学委員会で選定、1996年に宇宙開発委員会の承認を経て正式にプロジェクトが開始された。
小惑星サンプルリターン計画と並行して、彗星サンプルリターン計画の検討も行われていた。1987年のハワイにおけるISY会議の席上で、低価格な彗星サンプルリターン計画「SOCCER」の検討をジェット推進研究所 (JPL) とISASとの合同で開始することが決定される。M-Vによる打ち上げや、マリナーMarkII計画の「CRAF」との連携を視野に入れたデルタロケットの使用も検討され、1992年のディスカバリー計画ワークショップにおいて提案されるが、採用されなかった。その後、1994年にISASはMUSES-C計画に注力することを決定、SOCCER計画から外れる。その後、JPLによって検討を続けられたこの計画は、「スターダスト」としてディスカバリー計画に採用された。

●目的地の変更
小惑星イトカワの軌道(I:イトカワ、E:地球、M:火星、S:太陽)
1994年に本格化した計画当初、目的地の小惑星は (4660) ネレウスであった。しかしM-Vロケットで打ち上げ可能な探査機の能力から見て、ネレウスへ向かうことが難しいと判断され、第2候補である (10302) 1989 ML という小惑星に変更された。しかし2000年2月10日のM-Vロケット4号機の打ち上げが失敗、2002年初頭に予定されていた打ち上げ計画が延期となって、1989 ML へ向かうことが出来なくなった。その結果、(25143) 1998 SF36が3つ目の候補として浮上、目的地として決定することになった。
はやぶさ命名3ヶ月後の2003年8月、目的地の小惑星1998 SF36は、(探査対象となったことから)日本の宇宙開発の父、糸川英夫に因んで、「イトカワ」と命名された[17]。糸川は中島飛行機出身であり、設計に参加した飛行機としては「戦闘機隼(はやぶさ)」が著名である
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋